アムステルダムからの放送に「i-morley」が出演 |
2010年3月27日
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本日のツイッター記事 |
2010年3月27日
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...そして実際にヨガクラスに行ってきました。中級レベルのクラスを2つ続けて受けたため、後で体中が筋肉痛に。しかしその甲斐あって、本日生まれて初めて「カラスのポーズ」を3秒間保つことができました。まだ感動がやみません。ヨガはアサナを達成することが主たる目的ではありませんが、二番目か三番目ぐらいには大事なゴールだと認識しています。3年半かけてやっとカラスを数秒間維持できるようになった。むっちゃ、自信が付きました。押忍!今ふと頭をよぎったのですが、広範な引きこもり現象は、実は社会の構成やコミュニケーションのあり方が深いレベルでシフトした結果、居場所をなくしたという心理のなせるわざ?デジタルデバイド、英語がひたひたと生活に浸透することによるデバイド、押しボタンを論理的に組み合わせるインターフェースの氾濫など。単純労働にも押しボタンを組み合わせる作業が広まり、グローバル経済の宿命として雇用は流動化、不安定化する。同時に労働者の価値がより厳密に数値化されていく。しかも数値化はそ雇用主に有利な物差しでなされるため、学歴のようなブランドよりも短期で費用対効果を要求される。すべてが短期決済のプロフィット、ロスで測られると、企業はその圧力により変質する。法律を破っても罰された時のコストを上回ればいい、という流れになり、企業が超法規的な存在になる。そんな世の中だとロックンロールの「ノリ」を信念にして反抗することが出来なくなる。同じようにデジタルを使って反撃するしかないから。なんでツイッターで呼びかけたデモが日本では起こりにくいのか、ということも研究課題として有意義。昭和の時代に通用したあらゆるオルグが効かなくなる時代に突入しているかもしれません。つまり、ただ怒りを共有してもだめ、カンパを募っても集まらない、そして文句を言うなら実行動がまず必要。そしてデジタルな媒体にネイティブな魅力を発信して初めて、他人の意見に影響を与えられます。左翼系のルサンチマンも、国粋的な「けしからん!」も共に無力化した現在。かつて伝わった憤りは届かなくなった。この現状がずしりとこたえた時に、燃え尽きる人が続出する、と見た。水平化し行くネット媒体では素朴な善意が共有されやすい一方で、社会を変えようという「義憤」は構造的に伝わりにくいという仮説を立てました。ネットが企業論理に沿ってモラルを崩壊させるのでもなく、かといって既存の価値観が安泰でもなく、というバランスです。かたやフラット化がすすみ、同時に格差が拡大。アナログの昭和では考えにくかった数々の現象は、陰陽のように補完的に起きている。リテラシーが低かったり、ぼんやりしていると知らない間に相対的な弱者の立場に滑り落ちています。個人のハンデが途上国のハンデと一部そっくり。陰謀説がさまざまな形で流布しているのも、想像力を使わなくても複雑な世界の異変が把握できるため、麻薬のように広がっているのだとおもいます。言い換えると、陰謀論は弱者の抵抗手段になっている。そして強者に転じる機会は陰謀論の世界にはなかなか訪れない。アヘンだなあ。アメリカには大麻ばかり吸って安易に陰謀論を語りつつ、フリーターを続けるお気楽なライフスタイルが一部定着しています。一方、カリフォルニアで合法化されたら、最先端のデジタル管理で勝ち組になる「大麻のTSUTAYA」みたいなプレイヤーも出現するでしょう。大麻好きがスモックをまとってバリスタをやる世の中を想像できますか?間もなくゲームのルールが変わろうとしています。結論。今、日本はいやでも変わらなくてはならない力が内外から同時に作用しており、その光も影もある。波に乗れないと燃え尽きる。自分なりのきっかけを見つけて、人間として成長しようと決意すれば、道は開けるでしょう。みつを。やっぱり受け身でいるのは本当に損な時代になっている。今日も自分に先行投資するためにヨガクラスに行ってきます!
キット・キャット |
2010年3月26日
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ネスレを取り巻く騒動と、鯨肉裁判に関するアップデートを報告しました。
□参考資料□
グリーンピース・ジャパン公式サイトへのリンク
遺伝子組み換え米、中国市場に流通? グリーンピース調査で発覚(産経新聞)
NO! GMOキャンペーン公式サイトから「遺伝子組み換え入門」
「グリーンピースのクジラ肉裁判」傍聴報告(4) 被告人尋問から見える警察・検察の意図(JANJANニュース)
ビデオニュース:グリーンピース裁判で日本の司法が国際的関心事に http://ow.ly/1pHKO ★宮台氏の発言「検察や警察が国内問題の枠の中でしか自分たちの捜査や処分の正当性について考えていないということが露になった」
GPJ動画:第1回クジラ肉裁判 初公判
今夜はビート族 |
2010年3月25日
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移民に関するリスナー投稿 |
2010年3月18日
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名前:Yoshiメッセージ:モーリーさんこんにちは。遅ればせながら、3月3日放送のアクセスをニコ動で聞きました。アクセスのリスナーの方の一人が、移民受け入れの規模などを市場に委ねてしまえばよいと主張されていたのに対し、モーリーさんは、規模や構成などをある程度、政策で誘導していかなければ、日本にとっても、移民にとってもマイナスになると、応じていました。自分もその見解に賛成です。そして、モーリーさんは、現実主義者であるように感じました。モーリーさんの日本を多民族・多言語国家にしていこう、という主張は急進的なようでいて、実は、とても現実を直視された上での議論なのではないでしょうか。そのように感じるのは、とりわけ、移民を労働力としてとらえて議論したときです。年金制度をはじめとする社会保障制度を考えると、社会保険料を支払う、労働力の急激な減少は、制度の維持あるいは、円滑な制度改革にさえ、支障をきたすことは容易に想像がつきます。そして、労働力の急激な減少は、現実に避けられないことでもあります。移民を労働力として受け入れること抜きには、現状の福祉国家を維持するのは困難なのではないでしょうか。では、移民を労働力として、受け入れれば、だれしもが、その恩恵にあずかれるのでしょうか。実は、自分は、この点には懐疑的です。移民を受け入れることによって、政治経済学的な意味で、得をするひと、損をする人が生まれるのだろうと、自分は思っています。また、そのことが、移民受け入れの議論において、賛否がわかれる原因になっていると考えています。モーリーさんもご案内かもしれませんが、学校でSpecific Factors Modelというものを学習しました。経済学の国際貿易論の分野のモデルだそうです。この理論によると、産業資本の転換が困難だとすると、(資本が他の生産のために容易に転換できないとすると)労働力の減少は、賃金の上昇につながる一方、資本家へのリターンは減るというものです。また、その反対に、労働力の増加は、賃金の低下につながり、資本家へのリターンを増やすということでもあります。移民受け入れを考えた時の、政治的な思惑、動向を探る場合、このモデルをたたき台にして議論すると、なにか分かるのではないかと思っております。以下にグーグルでみつけた、解説のサイトのURLを添付しておきます。最後になりましたが、著作の出版が近付いていると期待しております。お体に気をつけて、今後も広範な活動、頑張ってください。それでは。
エチオピアの現状に関するまとめ |
2010年3月12日
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反政府勢力の資金に=80年代エチオピア飢餓救援-英BBC(時事通信)1984~85年にエチオピアで起きた飢餓を救うため、世界中で集められた多額の募金の一部が反政府勢力の手に渡り、武器の購入資金になっていた、と英BBC放送(電子版)が4日までに伝えた。エチオピアの反政府勢力ティグレ人民解放戦線(TPLF)の元幹部らが証言した。約100万人が死亡した飢餓を受け、英国ではロック歌手ボブ・ゲルドフの呼び掛けでポール・マッカートニー、U2ら人気歌手が集まり「バンド・エイド」を結成、救援を呼び掛けた。当時のエチオピア政府は、北部エリトリア(93年独立)やTPLFを相手に戦闘を続けていた。