Occupy Japan |
2011年11月 4日
|
ウォール街占拠運動に始まる急展開を語りました。
☆イスラエルによるイラン攻撃準備、イランの核開発、脱原発、TPP、そしてオリンパス問題などをまとめて語った臨時番組。リンクを直接クリックするか、「右クリック→保存」して音声ファイルをお聴きいただけます。
☆▽☆ これまでの配信サーバーであるPodcasting Juiceがサービスを停止したため、「iTunes」では番組を取得できない状態になっています。
◆アップデート◆
2011年11月4日 イスラエルのイランに対する攻撃準備をプレスにリークしたのは、攻撃に反対する同国の諜報機関である可能性、とクウェートの新聞が報じています。
UK Guardian - Israeli PM orders investigation into Iran leak
http://gu.com/p/33572/tw
2011年10月30日・モーリーからのお知らせ |
2011年10月30日
|
「日本は外国と違うんです。日本には日本にやり方があるんです」と言いつつ、「日本は国際社会の有力な一員」でもありたい。それは日本人の多くが(幕末のころから?)抱えている自己矛盾だと思います。けれども「日本特殊論」を日本人が、日本の会社が、日本のマスコミが、言い訳として使うのは、非常に悪い癖です。自分たちに対するステレオティピカルなイメージを自分たちで補強してそこに寄りかかっている。それは甘えであり、結局は「日本はよくわからない国。つきあいにくい国。ビジネスしにくい国」というマイナスイメージにつながるのに。
11月13日 名古屋「大川興業・大川総裁のお笑い安全保安委員会」出演/大川豊(大川興業総裁)ゲスト/モーリーロバートソン(ジャーナリスト・i-morley主宰)11月19日 東京 日本歯科大『 3.11の真実、そしてその後の報道の真実 』講師 上杉隆 氏 / モーリー・ロバートソン
「i-morley」最終回 |
2011年8月17日
|
i-morley サイシュウカイ from groove japan on Vimeo.
「i-morley」夏休みのお知らせ |
2011年8月13日
|
「i-morley」の夏休み
皆さん、常日頃から「i-morley」のUSTREAMに数百人規模で押しよせていただき、ありがとうございます。貴重なプライベートのお時間を、「i-morley」による「洗脳解除」と「再洗脳」に費やしていただけて、これほど喜ばしいことはありません。次第にオフィス・モーリーの準構成員として動く人達が世界に増えていくと思うと、世界乗っ取り計画が案外速やかに進捗している印象を得られます。
また、「Groove Japan」でのご声援もありがとうございました。東北の4県+新潟を即興的に周遊し、出会いを大切にしながら即日アポでのDJや、大学キャンパス、ライブハウス、公共施設で数々のレクチャーを行った初夏は充実したものとなりました。東北のいろいろな人達に応援の声が届き、逆に元気をいただいて東京に持ち帰った次第です。今後は東北でレギュラーな活動がしたいとも思っています。
さて、「i-morley」は今シーズンもやるだけやりました。恒例の夏休みをいただきます。夏休み明けの日程は決まっておりません。来る8月16日・火曜日の池袋「鈴ん小屋」におけるギャザリングをもって、シーズンの締めくくりとさせていただきます。
今シーズン最後から2番目の放送 |
2011年8月10日
|
オフィスからの今シーズン最後の放送 from groove japan on Vimeo.
毎日新聞(琉球新報からの転載)原水禁大会:「脱原発」「脱基地」訴え 沖縄アピール採択
--->記事リンク
<記事抜粋>
「脱原発社会」「核兵器廃絶」をスローガンに被爆66周年原水爆禁止世界大会・沖縄大会(主催・同実行委員会)が11日、宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで開かれ、県内外から320人が参加した。沖縄開催は1995年以来、16年ぶり。大会では原発推進と沖縄の基地問題を「『命』の危険が地域に押し付けられ、その上に『国策』が進められる構図」で同じと指摘。「一人一人の命に寄り添う社会、政治を実現しよう」とする沖縄アピールを全会一致で採択した。
...
原水禁議長で長崎の被爆者でもある川野浩一さんは主催者あいさつで「『命(ぬち)どぅ宝』は脱原発の運動とも合致する。原発は廃止以外ない」と原発、核に頼らない社会の構築を訴えた。
池田信夫 blog : 「脱原発」という呪文
<抜粋>
日本では反体制運動が、連合赤軍や内ゲバという凄惨な形で終わったため、ここ30年ほど起きなかった。そこで極左は「反原発」ではなく「脱」という曖昧な言葉で多くの人々を動員する戦術に転換したのだ。6・11新宿デモや「エネルギーシフト勉強会」の事務局に中核派がいたことは公然の秘密である。 もちろん動員されている人々の大部分は、そんなことは知らないだろう。今度の事故で初めて原発を知った初心者がマスコミの流す恐怖にあおられ、「子供の命」とか「自然を守れ」といった気分で反応している。
BP Net:田原総一朗コラム 脱原発の風潮は60年安保闘争に似ている
--->記事リンクへ
<抜粋>
条文を読まずに「安保反対!」と叫んでいた
何の検証も議論も行われずに脱原発に突き進むのは、ある意味では恐い。私には、それは60年安保闘争と似ているように思える。
60年安保闘争は、岸信介内閣が日米安全保障条約の改定に取り組んだときに始まった。私は当時、毎日デモに参加し、「安保反対! 岸首相は退陣せよ」と叫んでいた。
安全保障条約は、吉田茂内閣が取り決め、岸内閣がその条約を改正し、その内容は日本にとって改善されていた。だが、私は吉田安保も改定された岸安保も条文を読んだことがなく、ただ当時のファッションで安保反対を唱えていただけだった。「岸信介はA級戦犯容疑者であるから、きっと日本をまた戦争に巻き込むための安保改定に違いない」と思っていたのである。
当時、東大の安保闘争のリーダーは西部邁氏であった。私は西部さんに「吉田安保と岸安保はどこが違うのか。それぞれを読んだか」と聞いてみた。西部さんは「読むわけないだろう。岸がやることはろくなものではない。日本を戦争に導くだけだ」と言っていた。
60年安保闘争に参加していた者はほとんど安保条約の中身など読んだこともなく、ただ反対していただけなのである。科学的・技術的な議論が行われない脱原発の動きは、この安保闘争とよく似ていると感じる。
風光明媚な河原で |
2011年6月26日
|
風光明媚な河原からDJ from groove japan on Vimeo.