ビデオ流出の雑感

みなさま、ごぶさたしています。ここ数日のニュースの流れを追う内に、ちょっと「たまらん」という気分になりましたので、走り書きをいたします。「産経抄」ぐらいの目安で、どうぞ。

-----尖閣ビデオの流出を政府は刑事事件として扱っていますが、もちろん本質は中国に対して強気に出られない矛盾と向き合うことです。どれだけ話をそらし、隠蔽に隠蔽を重ねても嘘が拡大していくだけ。いさぎよく中国を怒らせた方がいい。APECを台無しにしてもよし。YOU、やっチャイナよ。

民主党政権が一番暗礁に乗り上げているのは、国民の知る権利を軽んじてしまった点だと思います。中国が力を付けるにつれ、腕白者・暴れん坊になるのは歴史の趨勢。だけどそれにひるんでしまった結果、民主主義の根幹にある柱の一つを軽く譲ってしまったことに致命的なエラーがある。

自民党の時代には、ディスカッションや不都合な真実と対決することを上手に回避する仕組みがあったと思います。マスコミが政府と合奏する形で情報を仕切り、国民の喜怒哀楽を調整していたような社会があった。また、日本人も一般的にそういう指導の下で一丸となって頑張ることを望んでいた。

いわゆる単一民族のアイデンティティー(もしくは幻想)、大量生産+輸出にチューニングされた「偏差値の中央にみんなをうまく寄せた」社会システム、それを補強する歴史観(というか戦後観)があり、この全体がうまくバランスしていた。

その時代に日本社会はいわゆる「Don't Ask, Don't Tell」型の社会契約を個々人の間に浸透させ、紋切り型の縄張り争いはあっても本質的に社会を変化させようとするようなディベート・ディスカッションは「みんなで」避けていた節があると思います。

たぶん物理的な豊かさを達成するためにみんなで我慢していた時代でもあったのでしょう。自分を抑え、場合によっては殺して社会の仕組みに順応することが美徳とされ、いったん順応をすれば後は悪いようにはされないといううまみもあった。つまり終身雇用です。

でもそのシステムは成長期のせいぜい数十年ぐらいにしか設計図通りに機能していなかったんじゃないかと考えています。それがかつてとても長い間続いていたような妙な「歴史修正」が、現在に向き合う自信がなくなった人たちの中で行われている。歪んだレンズを通して過去を見る感じで。

要は時代がことごとく違う、ということに対面しなくてはならない。情報も数年前に比べてもべらぼうに多く入ってくるし、当然意見も多様になる。現在の日本で最もリーダー・政治家に求められるのは国民が新たな時代に目覚めるような刺激とビジョンを提供すること。民主党はそれをスキップして検閲中。

民主党政権は日本社会の弾力性を強めるような政策を考えていない。外交は戦後最低のレベル。イデオロギーらしきこだわりが先行して、目の前で進行している事態を直視できない。自民党を一時的に追い抜いた功績はありますが、もうじき歴史によって鉄槌が下ることになるかと思います。

均質幻想を乗り越え、内向きな社会原理の呪縛を乗り越え、国際社会に積極的に関与してプレゼンスを増し、個々が本当の幸せを追求できる社会を作るのは、政府任せにできません。左翼的な文脈ではない「市民の力」、本当の個性のパワーが求められる時が来ています。それを「Groove」と呼びたい。

アメリカではピュリッツァー受賞者でもあるジャーナリストのトーマス・フリードマン氏が「アメリカはかつての乗りを回復しなくてはならない」と主張していて、そのためにグリーン・エネルギーへのシフトを謳っています。石油依存を脱却してスマート・グリッドにより効率的に提供されるエネルギーの社会インフラを作ることこそが、新たなニュー・ディールになり得るというものです。「グリーン・ニュー・ディール」の発信者です。

ただし、フリードマン氏が礼賛し、期待を寄せるテクノロジーが数年以内に実現できるかどうかの厳密な検証は先送りされています。冷戦中に軍事拡大だけではない夢をアメリカ国民に持たせる行事となったアポロ月計画に匹敵する「夢」を「グリーン」という形で提供せよ、とアメリカ政府(つまりオバマ)に進言しています。すぐに雇用を回復することは無理なので、手の届くところにある壮大な夢をまずは一緒に見よう、と言っているわけです。

やる気を見つけ、将来に希望を持って向かっていくためのあらたな「Groove」をアメリカは今後模索することでしょう。見つからなければブッシュ時代やレーガン時代のような金持ち優先+戦争中毒+地球にとっては存在そのものがエコ・ディザスターといった状態へと、再びスリップしてしまう危険性も孕んでいます。

さて一方で日本ですが、日本にはそもそも「Groove」がかつてあったのか?それは見方によってどうとでも仮説を組み立てられそうですが、この際思い切ってボーダーレスに「Groove」を一部移植するもよし、あるいは日本の土の中で生み出してもいいと考えています。

すごく狭い言い方をすれば、「Groove」はアフリカ系の音楽に内在している、時間軸上のメロディーと呼べる絶妙な流動性となります。それをアメリカ大陸に伝えたのは他ならぬ黒人奴隷であり、白人の支配者にアニミズムの崇拝やアフリカの言語・風習を禁じられた状態ですべての存在意義を即興的な歌や踊りに込めたものがブルースやジャズの発祥であるとよく言われています。

その結果、原理主義的な音楽好きや評論家の中には、黒人の歴史的な苦難を受け継いだ者たちだけが真の「Groove」を継承していて、あとは非黒人(非白人じゃなくて、黒くないその他の人たち)が真似をしたりぱくったりしたのに過ぎない、と誹ったりもします。でも、それは間違っています。ジャズやロックの初期からずっと黒人・白人・ラティーノが混成でバンドをやっていたからです。「Groove」は人種や文化、歴史背景が融合することで生まれたのです。

ついでに言うと、アフリカ大陸の中だけでも黒人と呼ばれる部族は無数に分かれていて、お互いに宗教や言語が異なっています。白人やムスリムが侵入して、徐々に改宗を進めた後も、ひとつの集合体にまとまることはなく、第二次大戦後にいろいろな国が宗主国から独立した後も民族紛争が絶え間なく起きています。今現在、アフリカの多くの場所で部族間抗争と地下資源・水の利権などが絡んだ、終わり無き紛争が続いています。この背景に照らし合わせると、「黒人でなければ真のグルーブを継承できない」とする偏見は、黒人をひとかたまりに考えてしまう無知なレイシズム(人種差別)に他ならないことになります。そんな狭い感受性は、21世紀の今、脱ぎ捨てましょう。というか、今東京にかなりの数で黒人ハーフの子達がいるという現実にも目を向けたい。「ハーフ」という言い方がそれ自体差別で...と止まらなくなる方は...社民党に投票してください。

情報も選択肢も遙かに昭和の時代のよりも多い現在の日本。そこにはちょっと足下を掘れば、とめどないリズムと躍動感が存在する。素通りして「日本は衰退した」と決めつけてしまうのは、あまりにも、もったいない話。民主党の皆さんがイデオロギーや過去の亡霊に呪縛されている隙に、私たちでもっとおもしろい世の中を作っていきませんか?できれば172bpmあたりで。

Posted by i-morley : 05:46