普天間騒動に関するエッセイ

有事になっていないけど、有事寸前という状態が戦後ずっと続いている。アフガニスタンとパキスタン情勢は有事である。北朝鮮もいつ崩壊に向けて暴走するかわからない。中国は軍事拡大中で日本政府と米軍のレスポンスをテストするように計画的な領海・領空侵犯を続けている。

こうした事態が延々と続く中、日本政府は軍事防衛をアメリカ政府に肩代わりさせてきた。それに対して用心棒代、あるいはみかじめ料のような莫大な金額を毎年支払っている。基地のある地域(主に沖縄県内)では米軍がナンバーワンの雇用主であり、普天間・コザ・名護市民は莫大な土地使用料(日本政府が払う)と基地内の仕事(米軍が支払う)に依存している。

沖縄は観光と基地以外にこれといった産業がない。基地による騒音や環境破壊、米兵による犯罪、戦争が起きた際に基地が最初のターゲットになる、などなどのリスクが基地についてくる。集中したこれらの負担を軽減するために鳩山内閣はなんとか分散を試みるも、日本中の自治体が米軍の受け入れに猛反対をし、そもそも米軍が分散した形で防衛力をフルに発揮するのは無理なので現状維持か、その延長線上でしか交渉を認めない。

政権が基地移設で手も足も出なくなったタイミングでこの問題は政治利用され、あらゆる感情論が持ち出されている。沖縄県民はこの政治のゲームに「人間の盾」として使われているかのようだ。「沖縄県民の声を聞かなくては」と言いつつ、広範囲に県民の本音を聞き出そうという試みが見あたらない。そして地元の沖縄タイムズと琉球新報は安保闘争のパラダイムで記事を編成し、地元に向けたアジテーションを行っている。

真実はどこにあるのだろうか?

まず、戦争の現実がある。日本が平和憲法を維持できる背景には在日米軍の存在が不可分である。これは見方によってはアメリカの謀略の結果であり、日本に自国の防衛力を持たせないようにする、傀儡国家戦略の一環かもしれない。あるいはそうではないかもしれない。在日米軍の存在が日本人のアイデンティティーを損なうかどうかの問題もあるだろう。しかしそれらとは別に、いやそれ以前に、米軍の存在が中国・ロシア・北朝鮮からの侵犯を現在、抑止している。平和憲法と米軍はワンセットになっているのだ。基地が存在する以上、滑走路も存在する。

続けて米兵による犯罪や治安の悪化だが、戦地の体験に由来するものもかなりあるはずだ。つまりPTSDや前線を行き来する緊張感が無計画な強盗や強姦、 傷害行為、ひき逃げと何らかの因果関係を持っているのではないか。これまで在日米兵による犯罪が起きた場合、地位協定が不平等なのでうやむやなうちに加害者の米兵に有利に処理されてきた。そしてメディアでは「屈強な男」の犯罪とトーンダウンした形で報道された時代もあった。しかし米軍側からの視点で見れば、日本の警察で取り調べを受けたアメリカ人兵士が公正な裁きを受ける保証が示されていないのも事実だ。つまり戦争にまつわる緊張や精神不安定に由来する犯罪行為も、平和憲法と基地のセットに含まれる。

日本人はアフガニスタンなどの戦地に赴かなくてもいい。だから代わりにアフガニスタンに行く兵士達のツケを日本が背負う。これが用心棒代の取引だ。安保を粉砕するなら、おそらく日本人を兵士としてアフガニスタンに送ることになる。場合によっては日本国内で徴兵を復活させることも必要になる。軍部が暴走してもう一度戦前の繰り返しが起きる可能性も出てくる。これが軍を持つ国の現実だ。

米軍が日本からいなくなれば、その分だけ軍事緊張が解けるので、中国・ロシア・北朝鮮は徐々に日本への政策が穏やかになり、沖縄県民も嬉しいし東アジア全体に平和が訪れる。米軍はグアムにいて、いざとなったらその時だけ同盟国の日本を守ってくれたらいい。そういう風に、なるのだろうか?あるいは戦争と軍事拡大を続けることをそもそも意図したならず者国家・アメリカが世界中に在外米軍を展開しているのだろうか?ニワトリと卵はどちらが先なのか?

日本政府は米軍の存続をほしがっている。それが現在、大枠で日本の国家体制を保証してもいるからだ。と同時に日本政府はなるべく沖縄に基地を集中させたがっている。本当は動かしたくない。なぜか?戦争が起こったときには本土が攻撃される順位を下げるのかもしれない。そうだとするなら、沖縄県民には人間の盾になってもらうという暗黙のシナリオであり、沖縄県民は踏んだり蹴ったりだ。しかし別の面もある。軍事力を展開する上で集中させる必要がある。未来の米軍編成がハイテクを使って縮小可能なら話は別だが、今はそうではない。

アジアの玄関口に大規模な米軍が展開し続けることがかつて日本のデモクラシーを共産主義から守った。少なくとも日本政府はそう見ていただろう。左翼陣営はもちろん別の世界観でそれをアメリカの謀略だと解釈した。安保粉砕を叫ぶ人たちは大別するなら共産主義側が正しいという前提で話を進めるので、解釈が真っ向から対立して当然だった。だがイデオロギーの問題を問わず、沖縄に集中した米軍の兵力は結果としてソ連による侵攻を防いだ、とぼくは見ている。

さて、今後普天間がおそらく鳩山内閣の息の根を止めるファクターになるだろう。しかしどうせそうなるならば、内向き・感情論・現実逃避のサイクルから抜け出したいものだ。そのためには以下のことを議論の俎上に上げていただきたい。

0)東アジア情勢の軍事緊張・外交上の緊張を並列した現状認識。中国・ロシア・北朝鮮ではかなりあやしい雲行きが続いている。これらの国々が自発的に民主体制へと移行する気配は見られない。
1)在日米軍が日本に必要かどうかの基礎的な確認もしたい。戦争は反対でしたがって武器も基地もいらない、と主張する人にはその先のビジョンも提案していただきたい。
2)沖縄に米軍を集中させなくても米軍の軍事力は有効なのか?第三者にも意見を聞いて検証するといいだろう。
3)沖縄県民の米軍への経済的な依存。米軍と観光に依存し続けたい人も相当数いる。本音で沖縄の声が聞きたい。自立するための付加価値をどうやって生産していくのか?
4)長期展望として在日米軍を縮小させる場合のビジョン。日本国内にある兵力を削減するわけだから、当然外交など他の戦略が必要になる。中国がそもそも領海・領空侵犯をしたくなくなるような外交とは何か?
5)安保の枠組みから生まれる負担にクレームをつけるような議論に終始するのではなく、なぜ日米安保が存在するのか、そしてそれが現在どういう役割を果たしているのかをがっちり議論したい。
6)アメリカ国民に日米安保の存在を認識させる。ほとんどのアメリカ人はこのマイナーな話題をそもそも知らない。また、一部で「良心の声」を上げているアメリカ人の活動家には陰謀説を唱える人が目立つ。アメリカの多様な世論を普天間移設問題に巻き込むことも打開策の一つになるだろう。英語の海外情報を仕入れるだけではなく、英語で発信する能力が問われる。NHKあたりにやっていただくことかな?

日本と周辺の国がいかにしてつきあうべきかを考える機会になるのだから、外から日本を見た視点も養っていきたい。また、言論統制や世論の歪みが東アジアの常となっているからこそ、アメリカの世論を関わらせることは有意義になる。また、日本だけが平和な時代は遠のいていることもあらためて自覚したい。

最後に、この分析エッセイがひたすら冷たいものにならないように言いたい。日本社会の軍事的な安全は沖縄に長らくそのリスクを引き受けてもらった。まずは、沖縄県民の負担をねぎらい、歴史の中で果たした役割に感謝を述べるのが筋合いかと思う。在日米軍に感謝の言葉を述べる人は、とくに見あたらないが。

Posted by molitter : 07:53