「凡」ナイトを終えて

いえーい、凡!今回のツアーのクライマックスとも呼べる、燃え尽くしたライブでした。ご来場のみなさま、ネット視聴のみなさま、そして今回の実現を可能にした関係者のみなさま、本当にありがとうございます!


言葉にならないすごさエナジーがそこにはありました。舞台上にで何かが変わる。こういうことをして年をとるのなら、おれは大歓迎!池田有希子さんの舞台「グラスホッパー」も鹿児島から応援しています。

でも、今はまだ山をぶち抜いたような、もののけ姫の森が再生したような気分。形容しがたいけど、抜けたよ。空になるのは、何かが見えるものだ。何かを捨てて何かを取ったのかもしれない。

ぐっとくる純粋で未整理なエネルギーを受けて、韓国ソウルで初めてクライングノットというバンドに出会った時を思い出した。

1996年の「空からモーリーが降ってくる」ツアーの時だったんだけど、あの時も確か前日に日本語で一曲を歌ったために警察が出動して逮捕まぎわで逃げたんだった。カオティックな状況の中で、まったく予期しない出会いがある。そんな法則性があるようだ。

警察に萎縮した次のソウルのライブハウスがブッキングをキャンセルしてきたんだけど、そこに押しかけて金を握らせる勢いで交渉したら、建前上はキャンセルだけど非公式にやらせてもらえた。その時にオープニングをしたのが当時平均年齢16才のクライングノットだった。

制服を着た女子高生や適当なティーシャツを着て反抗しているような青少年が集まる中、日本語や日本アレルギーが強烈にインプリントされている文こういう波はめったにない。この生き方にはつらいことも多々あるけど、今回は本当にこれで良かったな、と思った。今後、これでいく。期待してて、みんな。化を即席でからかってみた。

マイクに向かって怒鳴った。「マイ・グランドファーザー・イズ、コリアーン!」そうすると満場の客が大歓声の中、ノリノリで演奏を聞いてくれた。もちろん、嘘である。

まんせえーい!みたいなパワーと脊髄反射が渦巻く中で、あの時も舞台上で抜けた。勘違いだろうが非公式だろうが、エネルギーにはかわりがない。要はそれを受け止めて、別の次元へと誘導できるかどうかだ。

その時には案内をしてくれていた在日コリアンの青年にビデオカメラを持ってもらうだけで、記録にはほとんど残っていない。それが2010年の今、瞬間的に世界と共有されるようになった。感動的だね。

舞台に立てば何かが変わる。エネルギーを受け止めれば、何かを変える波が起こせる。そういう手ごたえがあの時にあった。その波が昨夜の凡にも来たと思う。



Posted by molitter : 17:20