深夜いきなりの生放送

昨夜のことですが、いつもはオンラインでやりとりをしている大嶋ディレクターと会合し、その場から即興的にUSTREAMの放送を始めました。その日に会うことも計画に入っておらず、陽気が暖かいという乗りだけで実現した放送であり、バッテリーの電源が切れるまで続きました。非常に都合のいいことにその電源切れが終電とちょうど同期していたため、コンテンツを優先させて徹夜という事態も免れました。昼間の用事で有楽町に止めていた自転車を深夜回収し、暖かい深夜を乗り回しました。


まさにコンテンツ優先ということで思い当たる節があります。アーチストの立場は数字よりもコンテンツが大切です。その一方に、これまで視聴率やアクセス数でしか広告料を算出してこなかったメディア全般があります。理想的には視聴率やアクセス数が品質の高いコンテンツを追いかけてくれれば申し分ないのですが、一度バブル期に濡れ手に粟の成功体験をしたメディアには慢心がはびこり、媒体のブランド力だけで数字を稼ぎ出し、広告主は媒体のランクに応じて気前よく制作費を出稿してくれる、という甘い方程式を期待するようになって久しいので、今「いいコンテンツを提供しよう」と考えるメディアはまずありません。

どのテレビ局にも出版社にも「本当に心に届く作品」を目指している人はいます。ですが働いている会社の機構そのものが、そういった感受性を否定するところにまで来ています。ニワトリと卵ですが、卵を産まないと最初の一羽のニワトリも出てこない状態にありながら、先に「ニワトリ=数字」を持ってこいという理不尽な状態に陥っています。

ですが電波媒体にも活字媒体にも出稿するメリットそのものがない、という認識がスポンサーとなる企業にどんどんと広がっているため、全体のパイはシュリンクするのみ。全体が縮小する中で相対的なシェアがダントツであっても、一本あたりの番組にかける制作費が以前の何分の1かに縮小し、人件費から削って行かなくてはならないため、職にとどまった制作者1人にかかる負担が激増します。そしてスポンサーにアピールする方法が中身ではなくシェアのままなので、卵を育てることなくニワトリを追いかけるサイクルが続く...素人が見ても方法論が間違っていることは明らかです。

ではネットはメディアになるのかということに焦点が映ります。ニューヨーク・タイムズ紙は長い模索の末、来年度から無料掲載を制限し、一定量以上の閲覧を課金する方針を採用しました(関連記事)。これは苦渋の選択であり、有料化した途端にバナー広告へのアクセスが激減してかえって赤字を抱える可能性もあります。同紙は先駆的に新聞記事の間に自社製作の動画ニュースを埋め込るなど、情報源へのアクセスを快適化する研究を進めてきましたが、その先行投資に見合うリターンを得られていないまま、禁断の有料化へと踏み切ることになった次第です。

つまりネットでもうかるための方程式は確率されておらず、バナー広告からの収益がアクセス数本位で算出される限りは、単純に視聴率に近い考え方がネットへと移植されたに過ぎないのです。インターネットがもたらしたパラダイムシフトに、その収益モデルは追いついていません。ただひたすら多くの閲覧回数を目指すインターネットのコンテンツにそもそも、インテリジェンスが感じられない。

この頃合いで、知性を含めた仕事をする人たちの間で質の高い作品やメッセージを発表し、心ある人にそれを買ってもらう」という芸術の観点に立ち戻る潮流が生まれてもいい、と思っています。真心をこめた仕事を行い、そこから生まれる深い共感や感動を出会った人に買い支えてもらって生活するという夢のシナリオです。インターネットが約束してきた「IT革命」が本当に実現可能だとしたら、個人が個性を追求して幸せになれる経済システムの誕生に他ならないでしょう。

ツイッターで何人フォロワーがいる、とかネット配信した番組が何人にダウンロードされたといった数値を気にしてすべての人が仕事をするようになると、それはアクセス数のインフレーションでしかありません。自滅に向かいつつあるテレビの考え方を今さらインターネットに投影して、もうかる見込みのない方角へと突っ走ることになります。マクドナルドをクライアントにしたメディアが数百万単位のキッズにテキサス・バーガーを訴求するというのならば、アクセス至上主義でもいいでしょうが、個人のブログやSNSのコミュニティーさえもアクセスを広げる小技や口コミマーケティングを研究するようになると、それは自己矛盾だと思います。

ネットは一人の人間が自分らしく生活できるように使った方が、日々を快適に過ごせます。24時間ツイットを続け、ブログで食べたものを公開し、コメント欄には接客業のように対応しながらも、思い詰めたストーカーから実世界でつけ回されな、会社から守ってもらえず、でもブログの更新はやめられない...というシナリオへと振り切れるのか。それとも自転車に乗って都内の平地を徘徊し、のんびりとヨガのクラスに通うのか。選択はあなた次第。

このタイミングでモーリーは「メディア・アーチスト」の看板から「メディア」を下ろし、アーチストへと戻ります。すべての人が視聴率の幻想を追いかけるようにたきつけられている風潮が近づいている中、媒体はもうやらなくていいと思っています。今後どこかのメディアから声をかけられたとしても、その露出が数字を取ることを「i-morley」が保証することはありません。そもそもレギュラーに更新しないことにしました。ネット上でメディア展開をされたいなら、「ほぼ日」に行ってもらう方が確実です。

はっきり明言すると、「i-morley」の累計登録者数は68万人を越えていますが、ラジオ番組やテレビ番組にレギュラー出演をしても、その番組にアクセスが殺到する保証はありません。「i-morley」のファン層をあてにして番組編成をすると、きっとやけどをします。数字を取ろうとするメディアのあり方と、「i-morley」が伝えていることは背反しているのです。

もっとはっきり説明しましょう。

悪夢のシナリオ1
【企画】MXTVで「モーリーのブログTV」という番組を2010年4月から開始。USTREAMと電波放送を同時進行させる画期的な展開で、テレビやネットを視聴しているファンはチャットに参加でき、スタジオと会話も出来ます!何よりもネットの小難しい部分をわかりやすく、楽しく説明し、プレゼントも用意されているのでわくわく感が倍増!
【結果】MXTVを視聴する絶対人口は増えず、その中で特にネットのフロンティアに強い関心を持つ人も増えない。ネットが好きな人はmixiやブログ、2ちゃんねるをやっているので、この架空の番組をいじるスレが立ち、ディレクターやスタッフの思慮の浅さをあざける書き込みが続くのみ。USTREAMのビューワーは270人から330人あたりを固定層が冷やかす。3ヶ月で終了する間際に番組で打ったイベント会場には65人が来場。さらに30人の関係者が無料招待され、なんとか100人入ったように見える。

それほど悪夢ではないシナリオ2
【企画】メディア・アーチストのモーリーが歯に衣着せぬトークでFM東京のウイークデーの夜に新登場!番組の様子はカメラで確認することができ、スタッフの視点からモーリーさんを観察するツイットも流れます。リスナーのみんなからデザイン案を募集して番組のTシャツやグッズも製作。君のアイデアが世の中に出るチャンスだ!月に1回の「モーリー英語学校」を半蔵門の600人収容のホールで開催。受験生の英単語の悩みから大人のニュース英語までを幅広く解説、生きたイングリッシュをぐんと身近なものにします。あなたの将来のお仕事チャンスを作り出すかも!
【結果】初回の番組でFM東京の基準から見ていくつかの問題発言がある。とくに、FM東京が共同通信と専属契約を交わしている中で時事通信が配信した速報を紹介したことが問題視される。番組終了後「ここはJ-WAVEではない」という説教が2時間続く。その後「FM東京のモーリー」という新たな存在を作り出すために徐々にチューニングがなされていくが、ネットからのフィードバックは「なまぬるい」「何やってんだ」「モーリーを返せ」という内容と、「モーリーって誰ですか?」という初心者の投稿へと両極化。番組スタッフは「新しくなったモーリー」を印象づけようとモーリーのひょうきんな言動や容貌をしきりにツイットするが「i-morley」から流れてきたリテラシーの高いユーザーを中心に「ばかじゃねえの」と嘲笑を受け、落ち込んでしまう。「モーリーさんはあつかいにくいんですよ」と会議でディレクターが愚痴を言い、「まあ、気を落とさないで」とモーリーはJ-POPを明るい声で紹介する。一度スタジオにアナログ・シンセサイザーを持ち込んだモーリーが演奏する最中にディレクターは寝てしまう。一方で「モーリー英語学校」は募集が殺到するため紀尾井町ホールへと会場を移す。番組サイドの意向をぶっちぎる形でモーリー+たらきゅうチームは国際時事の核心へとYouTubeの生素材、パワーポイント、英文資料、インドの新聞に掲載された記事、アメリカの中道左派メディア、イランの民兵が市民に暴行を加える映像、大正時代の映画「狂った一頁」のシーンなどを目まぐるしく紹介。大人の半分と青少年たちを熱狂させる。アンケートを回収した番組サイドは「モーリー大学そのものを番組にした方がいい」という結論に至る。だが、かけている音楽の選曲をしがらみの都合から変更するわけにはいかず、ハードなトークとEXILEや木村カエラが交互に飛び出すきわめてシュールな番組となり、通なリスナーはこのちぐはぐさがあまりに面白いので「そのままでいい」と思い始める。J-WAVEのディレクターから「なんか、やってるじゃない」と電話が入る。「はい、F東でがんばっています」とモーリーは返事。

もっといいシナリオ3
【企画】モーリーが1991年以降を振り返った本をスターバックスやドトールで書く。
【現実】春の終わりに講談社クラスの出版社から出る。個別のエピソードや語りの節回しに読者を酔わせるものがあり、メディアとしてのモーリーではなく人間モーリーの魅力に共感した心ある読者層が人から人への口コミで広がる。マーケティングは行わない。日本縦断講演旅行の最初の開催地は鹿児島市。カフェレストラン「if」は関係者抜きでいっぱいになり、このイベントの様子はたらきゅうの力により3つのカメラ視点を切り替えてネット放送される。昼間は講演会とワークショップ、夜はクラブで踊るという通し券が各地で完売。夏の夜に浜松市「ヤング・アダルト」でこのギャザリングはピークを迎える。モーリーはヒット数にもフォロワー数にも依存しない活動を続けるべく、ハリウッド進出をする有名俳優の英語インストラクターのサイドジョブに就労、出先からウェブカメラを使って指導。

...とまあ、こういうことですから、ご依頼されるみなさまはまず下調べをお願いしたいところです。ネットユーザーはもはや、「視聴者」ではないのです。私たち、目が覚めているのですよ。





Love Rollercoaster  by  i-morley

Posted by i-morley : 11:39