|
名前:キリスト者
メッセージ:ご返事をありがとうございました。「熱帯夜に思う」まで聞きました。楽しかったです。ボーダーレスに今世界が動いています。私は、やっとそうなのか思います。聖書の福音は、2000年前からボーダーレスです。
喜びなさい、感謝しなさい、祈りなさいは、何かの理想ではなく、イエス様だけに信頼するとき、私たちが自然にそうすることができるようになる現実です。わたし達はイエス様から考えられない恵みをいただくことができるのです。
一番の問題は、人生の究極の問題、どうしたら幸せになれるか、人生の目的はなんであるか?、救い、(聖書はこれを救いと言っています)について、じぶんで何かをしようとしたり、(オウムの教祖がビデオで、修行、修行と、何度も繰り返していたのを思い出します。)また、何かができたと主張する(オウムの教祖は「究極の解脱者」であったそうですね。)ことです。極端な例を出しましたが、私も、イエス様を信ずる前は、これと同じようなことを多かれ少なかれしていました。また、そのようなことをしている人を沢山まわりで見かけます。キリストを信ずる者は、このような種類の問題に関して、何もできないこと、ただ、キリストの恵みを受け止める以外にないことを知っています。
イエス様によってその究極の問題が解決されていることを知り、自らの身の幸せを表現するとき、その人はかならず、まわりから迫害されます。村八分にされ、権勢あるものから圧迫されます。「既存の権力に真っ向から刃向かい、実行動を取ったことで処刑され」たイエス様のようになります。避けられないと思います。
聖書にその例がありまます。それは使徒5:12から42です。聖書以外に、たとえば、高山右近や、内村鑑三や、戦中の、あるキリスト者はその実例です。
内村鑑三は、教育勅語(=明治天皇の言葉)に敬礼しなかったのです。なぜなら、イエス様と教育勅語の両方に敬礼できなかったからです。その結果、内村鑑三は教職を追われて生活に困るようになリました。忌野清志郎さんのようにほされました。高山右近は、優れたお殿様でしたが、時の権勢者に従うよりは、イエス様に従いました。イエス様を従うのをやめろと権勢者から言われ、その命令に従わなかったので、彼は、マニラに国外追放にされました。高山右近をマニラに追放したとき、日本は鎖国を完成したのではないでしょうか?
これらの人々は、それぞれ、イエス様による救いの喜びと感謝を表しただけです。「『キリスト』の路線」は、かならず、迫害をともないますが、わたしがイエス様を知ることになったのは、あるキリスト者の話を聞いて、その人が喜んでいたなとあとで思い出したことがきっかけになりました。ですから、迫害だけではないことも間違いありません。だから、ステッカーやカルチャージャミングも、迫害もあるでしょうが、目覚める人もあるでしょう。
ステッカーやカルチャージャミングをする人とキリストを信ずるものは、周りから圧迫を感じるという点で似てます。わたしが言いたいことはキリスト者も自由を制限されているということです。
お返事
レターをありがとうございました。多くの人にとって、圧迫はけっこう目に見えて増えていると思います。その時に行動するのか、しないのか?最終的には一人一人が決めるしかありません。なぜそうするのかということに「分があるから」といった打算を持っていると、あまり動けなくなる。結局は「これを行うことが自分の使命である」という一つの「諦念」に達することが大事かもしれません。
Posted by i-morley : 2007年08月26日 13:23
|