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レビュー(1)by Name:Jun
モーリーさん
Jun@Stanford Universityです。こちらで公開された映画版「Borat」を観ました。
が、既にYouTubeで一次映像ソースに接していると、映画という形にする過程で本来の目的のはずの言葉によるブラックユーモアは漂白され、かわりに下ネタで盛り上げた中途半端な出来というのが良くわかってしまいます。
断片的な映像ソースの事前放出は、所謂Web 2.0的映画プロモーションが目的だったのかもしれませんが、映画の評判自体もすぐに伝播してしまう今日この頃、難しいですね。
というわけで、「Borat」はYouTubeに限る!
☆その後、YouTubeからは配給会社の依頼で映像が降ろされたようです。
Name:レビュー(2)by Emi
モーリーさんこんにちは。
いつも楽しく聴かせてもらっております。
刺激のある番組を絶え間なく供給してくださり、ありがとうございます。
いつもコメントを送ろうと思いつつなかなかできずにいるリスナー(多数いると思う)の一人です。
私は3年前からアメリカ(西マサチューセッツ)に住んでいるため、i-morleyとElan Vitalがネットを通じて聴けるのは本当に有り難いです。
モーリーさんのラジオは私の大切な娯楽なだけでなく、貴重な世界の情報源にもなっています。
さて、先日"Borat"観てきました。人気がすごくて、週末にはここの田舎の映画館でも、上映時間全て満員(売り切れ)という珍しい状況でした。
なので週末はあきらめ、週明けの月曜日に行ってきたにもかかわらず、満員。そして、会場は笑いの渦でした。老若男女、人種、セクシュアリティを問わずにです。
Sacha Cohen は頭がいい人ですね。。その上、リスク覚悟でカラダを張っているので、一見下品だけど、かなり質の高い笑いにより、現代のアメリカ社会を容赦なくあぶり出していると思いました。
これは友だち(ポーランド系)が言っていたのですが、最近、アメリカでは行き過ぎたポリティカリーコレクトネスのために、人種や異文化ジョークがあまりオープンに言えず、皆フラストレーションが溜まっているそうです。
そこにBoratがズバズバとツボをついたことを言ってくれるので、自虐的であっても笑うしかない、という感じでした。(ちなみにBoratがカザフ語として使っている「ヤクシマシュ」「ジンクイエン」はポーランド語だそうですね。)
それにしても、あのようなリスク覚悟のコメディは日本では可能なのでしょうか。モーリーさんが映画をご覧になったらぜひ話を聴かせてください。
高校の頃モーリーさんのAcross the Viewににはまってから、かれこれ長い時(15年以上!)が経ちますが、扱うトピックが変わっても、日本人の精神を覚醒させるという基本姿勢は変わらずにいらっしゃって本当に感心します。
日本にはモーリーさんのような方が必要です。これからもますますの発展とご活躍、楽しみにしています。
マサチューセッツ州アマースト
☆まず、マサチューセッツのAmherstで「i-morley」が聴かれていること自体に、何かくらっとするようなものを感じました。アメリカ社会に住んでいて「Borat」から受ける衝撃は強烈だと思います。日本で創価学会、朝鮮総連、部落解放同盟、そして自民党を隠し撮りした「Borat」が生まれるのはいつの日か?その「Borat」はミャンマー人だったりするのだろうか?
しばらく「i-morley」を配信しているのですが、お笑い芸人やジャーナリスト達の間から対抗番組が出てこないのは、まったくもって業界の怠慢と指摘せざるを得ません。「ヒット数」のようなものなら、マスメディアの力を傘にいくらでも取っている番組はあります。しかしマスにとって都合の良すぎる内容ばかりで、本当にポッドキャストとしての真価を発揮しているものは少ないです。
「日本人の精神を覚醒させる」ということは、可能なのか?疑念を抱いています。「i-morley」リスナーと一般社会・そして業界との間にタイムラグが目立つからです。おそらく「i-morley」が業界側で認知されるとしたら単純に登録者数が15万人を越えているから、といった数字のマイルストーンのみで判断されると思います。
「こういう例があるなら、芸能プロの予算でも15万人に配信するラジオ番組が作れる。ビジネスモデルかもな」
という、さもしい計算の延長でしか見られていないようです。本質的なところに共鳴している人間は、いたとしてもほんの一握りでしょう。それだけ日本社会に染みついた「判断停止」の文化は根を張っているからです。
逆転の発想で、このまま「i-morley」をブランドとして、メインストリームに切り込むということも考えられます。日本型の「Borat」に向けた展開です。業界から見ると、モーリー・ロバートソンのブランドはありあまるほどなので、それを盾に出来ます。アメリカ国籍の白人男性(厳密にはハーフですが、テレビ寄りの人間ほど白人だと思いこむ傾向があります)、ハーバード大卒、J-WAVEで仕事をしている、ネットで何だか人を集めている...「i-morley」を吟味せずにテレビの討論番組に出そうと思い立つディレクターが出てくるのも時間の問題かもしれません。そうなったら日本の「Borat」実現に一歩近づくかもしれません。
一個人ではなく、ブランドの集積体、つまり「身分」でしか人を見られないのが日本の権力装置です。グローバリズムによる企業への圧迫も、短期決算の利益を追求する方向にし向けますので、ますます手っ取り早いブランドに飛びつかせます。地方から見た東京、J-WAVE、英語をしゃべる白人、ハーバードなど。ところが矛盾したことに、そういったブランドを企業が一様に追いかけることで、イメージ戦略が同質化していくのです。何も考えない横並びのプロモーションをする企業、その企業がスポンサーするテレビ番組、と連鎖していきます。
同質化すると、どれも同じなので本当の意味の価値が生まれません。強いて言えば「株主の貧弱で近視眼的な想像力を満たすためのパフォーマンス」となっていきます。テレビはスポンサーさえ満足すれば良く、製品は株主が満足すればいいという矛盾が生じます。視聴者、消費者は本当はどうでもいい、という供給側の下心がのぞいてしまっている今日この頃です。
なぜ企業は、企業で働く人々は、そしてメディアはブランドを求めるのか?それはずばり、個人としての判断をしなくて済む「絶対価値」という幻想をもたらしてくれるからです。たとえば紙幣は実は相対的な価値であり、暴落する危険性をはらんでいるにも関わらず、特別な状況を除いては絶対視されます。ブランドは紙幣ほどではありませんが、グッチであるかソニーであるか、東大であるかハーバードであるかということで「文脈の中での価値」を相対的にあてがわれます。そのブランドの序列に応じて揺るぎない度合いが査定されます。もっとも最近はソニーのブランド価値は暴落中で、立ち直れるのかどうかはあやしくなっていますが。賞味期限付きの絶対価値なのかもしれません、ブランドというものは。
そのブランドにすがることで事業主、プロデューサー、ディレクター、広報室長、個人として判断の責任を問われません。つまり体を張らなくてもいい。みんながすでに知っている無難なものに投資しているだけなのだから、と言い逃れができるからです。「私、○○がこの製品なり事業に、自分で熟考した末、賭けることにしました」という人はいません。ライブドアの堀江前社長はこれを逆手にとって「ぼくにはわかるんです、もうかるってことが」と喧伝して回りましたが、日本社会では長続きしませんでした。ソフトバンクの孫正義社長もカリズマで押し切ろうとして苦戦しています。日本社会では、すでに認知されたブランドの掛け合わせでことを進めるのが組織の内部・外部の納得を得る上で一番スムーズに行くわけです。つまり
「私はリーダーとして何も考えませんでした。みんなの総意を組んで決めただけで、私のリーダーシップは手続き上のものだけです」
と宣言しているのです。単身で「i-morley」を制作・配信している身としては、リーダー達の臆病さに情けなさを感じます。
ところがグローバリズムは単純な数あわせで企業にダウンサイジング、人切りを求めてきます。業績が下方修正され続ければ人件費を削ることが必要です。その時に社内で誰も目立った個性を放っていないのであれば、クビにする人間はアトランダムな順位、あるいは派閥の順位で決めていいことになります。個人としての才能をそもそも発揮していなかった人材を手放しても、企業側は痛みを感じないからです。似たような仕事をできる、より安い賃金の人間を探せばいいまでの話ですから。つまり、果てしなく一般事務職や技能職はインド亜大陸へと流れていくトレンドなのです。
整理しましょう。自分の仕事が安泰であってほしいから、個々人が判断を避ける日本。個人として判断しなくていいのが、ブランド。人間にもブランドをあてはめて査定すれば、本当の意味で対面しなくて済むからお互いに気が楽。グローバリズムが求める四半期ごとの業績もブランド式の発想に従えば社内の同意、株主の同意を取りやすい。ところがどの企業も同一のブランド傾向にすがるため、事業内容が同質化して横並びとなる。それぞれの市場が飽和しやすく、飽きられるのも早くなる。飽きられたときのリスクは、マネージメントと社員を解雇することでヘッジする。それを株主が求める。つまり雇用は不安定化していき、いつでも近視眼的な評価の結果「儲けを産まない人間」というレッテルを貼られてクビになる可能性がつきまとう。個性を消したために、安定するのではなく不安定化するという矛盾のループが生じている。つまり全員がライブドアの社員と化していくのです。
そんなわけで、これまでブランドは日本の「バカの壁」として機能してきましたが、今後は日本を崩していく腫瘍へと変わっていくことでしょう。
ブランド式の考え方に中毒している状態から抜け出すためには、見たくないものを見て、きちんと話し合うということに尽きます。
「北朝鮮が、中国が、韓国が攻めてくるかもしれないから再軍備しないといけない」
という新たなブランドにすり替えたところで、何も解決しません。安倍首相は先の先まで考えて再軍備を提唱してはいない。あなたや私と同じレベルの素人っぽい発想からあの言葉は出ているのです。本当の痛みをくぐったことのあるソニーの名誉会長を首相にして、ダライ・ラマを外務大臣にした方が、まだエキスパートによる手堅い国家運営を期待できるでしょう。
本当の問題は日本の民主主義が半熟であることです。韓国や台湾に比べると独裁体制がなかった分、少し先を行っていますが、それほどでもない。本当の民主主義ではない、民主主義のふりをした「出来レース」で日本が成り立っていることを直視する必要があります。大部分の人たちが「アイキャノット・スピーク・イングリッシュ。でも駅前留学はしています」と『カラオケ』式の逃げ方をしている。そんな嘘の波にさらわれない人たちが使命感を帯びて、この日本を作り替えていく時代が来たのだと思います。それに気づくことが日本人としての精神的な目覚めなのです。
だからまずは、ぼくのアルバムを「iTunes」で購入するところから始めてください。今月のCool Cutsです!!「空からモーリー」を買ったという、その行為だけで日本が少しずつ変わっていく。新たなホワイドバンド・ムーブメントなのです。
Posted by i-morley : 2006年11月17日 14:49
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